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東京高等裁判所 昭和30年(ナ)2号 判決

原告 古賀一こと古賀光豊

被告 東京都選挙管理委員会委員長

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

原告は、昭和三〇年二月二七日行われた衆議院議員総選挙の東京都第七区における選挙はこれを無効とする、訴訟費用は被告の負担とする、との判決を求め、請求の原因として、

原告は昭和三〇年二月二七日行われた衆議院議員総選挙における東京都第七区の候補者であるところ、読売新聞社編集局長小島文夫は同年同月二五日発行の同新聞第二八一〇五号三多摩版に別紙記載のとおり原告ほか一六名の第七区の候補者にたいする選挙得票数および当選順位に関する記事を掲げてこれを報道した。

しかし、この記事が掲載された二月二五日は選挙期日の二日前であつて、投票を完了するのでなければどの候補者が何票を獲得するか全く未知数である。しかるに右記事はでたらめな、反対党の意見をとり集め、原告古賀一は一万票にとどくまいとか、あるいは三千ないし五千票どまりとか、はなはだしきは、第一番から第一七番までの候補者全員の得票順位の虚偽の事実を報道したものである。また右記事は候補者の当選順位を定めるにつき旧議員に重きをおき、前回も当選したから今回も同様当選するだろうというバクゼンとした暴言を報道したものであつて、かような暴言は新人たる候補者にとつては致命的であることはいうまでもない、要するに読売新聞のかような記事は原告をはじめ、他の落選した候補者一二名にたいする重大な選挙妨害であり、選挙の公正を害することはなはだしいものである。

しかるにかような不当な記事を掲載した読売新聞は日本の権威ある大新聞であり、その三多摩版は一日配布部数一五万におよび、原告の立候補した東京都七区のすみずみまで読者がいるところ、最近有権者間において腐敗した政局を是正してこんどこそは善良な候補者を選り出したいという世論がわきあがつており、有権者らはすべて新聞の報道に重きをおいていた矢先であつたから、第七区の有権者全般は読売新聞の右記事を読み、かつこれを誤信して投票を行つたのである。

現に訴外佐久間正雄は原告の選挙ポスター掲示責任者であつたが、右新聞記事を見た訴外藤本晴美ほか数名から同記事を示されて、貴下は何故に保証金没収の落選組をかつぐか、古賀一の落選は確実ではないか、せつかくの投票を落選組に投ずる必要はない、といわれた事実がある。また原告の本件選挙無効訴訟提起の事実が、昭和三〇年三月六日発行の朝日新聞都下版により報道されるや、訴外清水昇が原告を訪れ、自分はかねて貴殿の法律無料相談において、法律の解説をうけたことがあり、貴殿の平素の人格を知つていたから貴殿に投票を内定していたが、読売新聞の記事により貴殿が下から二番目になつているので落選確実な者に投票しても役に立たないから他の候補者を選んだ、しかし貴殿は読売新聞のため選挙妨害をうけ、大変気の毒であつたとみまいをいつた事実がある。

かようなわけで読売新聞がその三多摩版に本件記事を掲載したことは、新聞紙に虚偽の事実を記載して表現の自由を濫用したものであつて、右は公職選挙法第一四八条第一項但書の規定に違反したものであり、かつその編集を実際に担当した編集局長小島文夫は同法第二三五条の二第一号に当る罪を犯したものである(原告は、この事実について昭和三〇年三月一日東京地方検察庁にたいし小島文夫を告訴し、目下同庁で捜査中である)。

本件選挙事務を管理する東京都選挙管理委員会は選挙の公明を保つに必要なあらゆる措置をとるべき責任あり、読売新聞のかかる不当な記事掲載をさしとめるべかりしものである、仮りに同委員会にかような責任がないとしても、本件第七区の選挙は読売新聞の右記事掲載によりきわめて不公正に行われたものである。

よつて以上の事実は公職選挙法第二〇五条にいわゆる選挙の規定に違反するものであり、かつ、選挙の結果に異動を及ぼすおそれがある場合であるから、本件請求におよんだ次第であると述べた。(立証省略)

被告は、主文同旨の判決を求め、答弁として、

原告主張事実中、原告が昭和三〇年二月二七日に行われた衆議院議員総選挙の東京都第七区の候補者であつたことは認めるが、その余の原告主張事実は知らない。およそ選挙が無効となるには、その選挙が選挙の規定に違反して行われ、それがために選挙の結果に異動を生ずるおそれのある場合にかぎられる、しかして選挙の規定に違反することがあるときは、主として選挙管理の任にある機関が選挙の管理執行の手続に関する規定に違反することがあるとき、又は直接このような規定は存在しないが、選挙法の基本理念たる選挙の自由公正の原則が著しくそ害されるときを指すものである。(昭和二七年一二月四日最高裁判所判決)選挙の執行手続に関する規定とは、公の選挙管理機関が行うべき行為について定められた規定と解すべきであつて、選挙管理機関が直接の管理に当つていない選挙運動に関する規定、選挙罰則に関する規定等は右にいう規定にふくまれないものであり、また選挙法の基本理念たる選挙の自由公正の原則が著しく害されたとしても、少くとも選挙の管理機関の行為が原因となり、その違法状態が実現することを要するものであることはいうまでもない。

本件原告の主張する事実が仮に真実であつたとしても、右にいう選挙の管理執行の手続規定に違反したものではなく、またいずれも選挙管理機関の行為にもとずいたものではないから、その主張は失当である、と述べた。

(立証省略)

理由

一、原告が昭和三〇年二月二七日行われた衆議院議員総選挙の東京都第七区の候補者であつたことは当事者間に争がなく、成立に争ない甲第一号証によれば右総選挙に関し、同年二月二五日附読売新聞第二八一〇五号三多摩版に別紙記載の記事が掲載されたことが認められる。

原告は、右記事の掲載は公職選挙法第一四八条第一項但書に違反し、選挙の公正を害するものであつて、このことはすなわち公職選挙法第二〇五条にいう、選挙の規定に違反し、選挙の結果に異動を及ぼすおそれある場合であり、東京都第七区の選挙は無効であると主張する。

二、よつて按ずるに、右新聞記事は「味方の戦況、さぐる敵情、各党派支部長らがみた皮算用」と題し、東京都第七区の区域であるいわゆる三多摩地方において、今次総選挙の情勢につき、自由党八王子支部長小山省二、民主党立川支部長大貫昇一、立川市柴崎町板倉良助らの談話を、右派社会党、左派社会党、共産党、労農党等の各支部責任者の談話とともに掲載したものであり、これらの談話の内容とするところは、右小山省二のそれは自由党の立場から、大貫昇一のそれは民主党の立場から、それぞれ自派及び反対党の情勢を検討し、第七区の各候補者の得票数の多少、その序列及び当落の結果等を予想したものであり、板倉良助のそれは諸派及び無所属の各候補者につきその情勢を検討して得票数を予想したものであり、原告に関しては右小山の談話においてはその得票数は一万票にとどかず、序列は最下位から二番目あたりとし、右板倉の談話においては、その得票数はせいぜい三千から五千票どまりとし、右大貫の談話においてはなんらふれるところがないものであることが明らかである。しかして読売新聞は我が国有数の発行部数の多い新聞であり、同新聞三多摩版が三多摩地方において広く購読されていることは公知の事実であつて、右のような記事が三多摩地方における有権者の間に一般に流布されたことにより、第七区の選挙人に対しなにほどかの影響をもたらしたであろうことはいちおうこれを肯認しなければならない。しかしこれをもつて直ちに公職選挙法第一四八条第一項但書に違反するものといい得るかどうかはさらに検討しなければならない。

右記事は右小山ら二三の者の談話を掲載したものであることは前記のとおりであり、同人らの談話をもつぱら談話の形で報道したものであつて、新聞が自ら取材したところにもとずき自己の意見として評論したものでないことは明らかである。右小山らが全くかかる談話をしたことがないとか、その内容が掲載されたところと異なるとかいう特段の事情は本件においてこれを認めるべきなんらの証拠もないのであるから、右報道記事そのものが虚偽もしくは歪曲であるとすべき理由はない。しかもその談話の内容そのものはあくまで「予想」であり「皮算用」である。ことに各政党政派の責任者として選挙運動の渦中にある者が予想として外部に発表する内容が、おおむね自己に有利に他に不利に傾くことのあるのはみやすい道理であるから、そこにある程度の誇張や歪曲があつてもなんら不思議はない。新聞によつてこれらの予想記事を読む者はこのようなものとしてこれを読むものと期待してさしつかえはないのである。してみるとこのような内容の談話を談話として報道することは、他に特定の政党もしくは候補者に当選を得しめもしくは得しめないためにする等の特段の事情のない限り(本件においてかかる事情を認めるべき証拠はない)、それ自体新聞のもつ表現の自由の範囲内に属し、その自由の濫用にあたるとすべき理由はない。したがつて読売新聞が公職選挙法第一四八条第一項但書の規定に違反するものという原告の主張は失当である。

三、しからば読売新聞の右記事の流布は、その他に選挙の規定に違反するところがあるであろうか、公職選挙法第二〇五条にいわゆる「選挙の規定に違反することがあるとき」とは、主として選挙管理の任にある機関が選挙の管理執行の手続に関する明文の規定に違反することがあるとき、又は直接かような明文の規定は存しないが選挙法の基本理念たる選挙の自由公正の原則が著しく阻害されるときを指すものと解すべきである。本件が前者の意味における規定違反といい得ないことは明らかである。けだし、選挙の管理執行の機関である東京都選挙管理委員会は、この種の新聞記事につきそれが法に違反するかどうか、ないし、その流布を許すべきかどうかについて審査判断すべき義務も権限もなく、これが掲載を禁止すべき地位にはないものというべきであるからである。

よつてさらに右記事の流布が選挙の基本理念たる自由公正の原則を著しく阻害したかどうかについて案ずるに、およそ公職の選挙において、ある候補者がいかなる得票のもとに当選者となりうるかどうかの要件は複雑にして単純ではない。その候補者の人格、識見、手腕、経歴、政見ならびにその属する政党、政派その政策、綱領、公認、非公認の別またはその候補者と選挙区との出身地的、職業的関係、その他諸々の事項に左右されるし、またこれら事項が有権者の間にどの程度知らされているかによつても左右されるものである。そしてこれらのことは選挙期間中の選挙運動によるほか、平常、自然の間に有権者の間に理解を深められるものであり、選挙人はこのようにして自ら認識したところにもとずき、自己の自由な判断によつて候補者を選択することをたてまえとするのである。このような場合、特定の候補者がいかなる得票を集めるか、その当落の見込はいかんというたんなる予想記事、しかも選挙の渦中にある政党政派の責任者の談話の報道は、要するに選挙人の判断の材料に一資料を加えたというにとどまり、その自由な判断を阻害し、もしくは自由な判断の表明を妨げるものということはできない。あるいは選挙人において自己の選挙権を有効に行使するため当選を予想される候補者に投票するということはあるであろうし、それもまた一見解として是認し得るであろう。しかし選挙は勝馬投票とはちがう。大部分の有権者が当選を予想される者にのみ投票するということが一般に是認せられない限り、予想記事が当落を左右するものということはできない。したがつて仮りに一部において右のような事例があつたからといつて、この選挙が自由公正に行われなかつたとすることはできない。これを要するに本件記事の流布は選挙の根本原則を害したものとするには足りないのである。

しからば原告の本訴請求は他の点について判断するまでもなく理由のないものとして棄却すべく、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判官 藤江忠二郎 原宸 浅沼武)

(目録省略)

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